「屍体考」:写真家 増元 幸司

写真家:増元 幸司

みなさま初めまして。
雑誌やWeb媒体などで職業カメラマンとして活動をしている増元幸司と申します。
さて今回、私如きが作品制作についてのコラムを書く機会を頂戴してしまいましたので、しばしお付き合い下さい。

私は仕事としての写真とは別に、大学2年の冬から約21年間1つのテーマを撮り続けていました(現在そのテーマは制作休止中)。被写体は海岸に打ち上げられた魚や動物たちの死骸です。
まだ新鮮な死骸もありますが、中には腐敗が進んで骨だけになった死骸もあります。
私はその死骸を被写体とした「屍体考」という作品を、大学の卒業制作に選びました。
(屍体考というタイトルはとある本のタイトルから引用しました)

テーマは「存在の不安定さ」や「屍体の持つ独特の雰囲気や美しさ」の再認識です。
「生まれる、生きる、そして存在すると云う事象は、当たり前ではない」
「存在している事は必然ではない」
という考えを表現する手段として、屍体と云う死の側から『存在』を見つめる事にしました。すると、醜い存在に思われがちな屍体達の中に、恐ろしさと憂いを含んだ『美しさ』がある事に気付いたのです。
その美しさとはもちろんオブジェとしての面白さでもあります。そして、屍体とは魂から解放され純粋に存在しているだけの物質であるからこそ、圧倒的な存在感と言葉にならない美しさがあるのではないでしょうか?

 

 

そもそも屍体を撮るに至ったきっかけは、大学二年のクリスマスイブ、バイト後に友人と居酒屋で将来についての談義(妄想?)をしている時に「魚の屍体を撮る」というアイデアを思いつきました。食材として日本人にとって見慣れた魚なら、拒否反応が少ないのではないかと思ったからです。(確かこの前後に今道子先生のEATが発表されていましたが、そこまで影響は受けてなかったと思います)そして、翌日には、屍体を探しに新潟の海を目指して出かけました。

日本人が見慣れている魚を介して「死」を見出したかったのです。また、私の両親が高齢だった事もあり、幼少の頃から「両親の死が近いのだ」という強迫観念を持ったまま育ちましたので、死に対する興味も確かにありました。

 

 

最初の撮影では、小さい魚の死体が3~4つしか撮れませんでしたが、確かな手応えを得る事が出来ました。その数枚のプリントを当時受講していたゼミの澤本玲子先生に見て頂いたところ好評を得る事が出来ました。そして同時期に聴講生として出席していた三木淳先生のゼミにて「これは面白い、是非ニコンサロンで個展をやりなさい」と励まされ、それが続けていく原動力となりました。この時点で私の目標は「卒業制作を拡大させてニコンサロンで個展を開催する」になっていました。(自信過剰な青二才の私は、ニコンサロンでの開催は当然として、この作品でMoMAだって可能だと一抹の疑問も持っていませんでした。オソロシイです)

 

 

卒業後は出版社の社員カメラマンをやりながら、毎週末にはカメラと三脚を持って関東の海岸を右へ左へと彷徨いながら屍体シリーズを撮り続けました。そして1994年に銀座ニコンサロンにて初個展を開催。その後、銀座ニコンサロンで続編を三回開催し、2010年に新宿眼科画廊での5回目の個展をもって、屍体考の制作は一旦休止に入りました。その間には、グループ展や公募展にも出品し、ハンガリーやルーマニア、スロヴァキアでの海外個展も開催しました。

当然、作品について厳しい意見や見当違いなアドバイス、そして批判もありました。それでもごく少数の共感を持って下さる方もいらっしゃいました。私はその数少ない賛同者の為に、地道に撮り続けてきました。
個展をやってみて一番面白くないと思ったのは、実は批判的な意見ではなく無関心でした。

 

 

作品を制作し発表する事で得たものは、人との出会いだと思います。
この作品のおかげでハンガリーやルーマニア、スロバキアの人たちと交流が持てました。
この作品のおかげで、たくさんの見知らぬ人たちと会話ができました。
人種や宗教を問わず、時にはまるで禅問答のように会話をしました。
その際に感じた事は、特に外国人の方は作品の中に込められた作者の人物背景、思想、宗教等とセットにして質問してくる事です。それが新鮮で面白かったですし、作者は作品に対して責任を持った思想を込めなければならないと実感しました。何となく撮った写真では全く納得してもらえないと痛感しました。人に見てもらい、作品を挟んで人と対話をする事で、私の内面の再認識や思考の整理、もちろん勉強不足な面に気が付くきっかけとなりました。

そのような作品とは私にとって何だったのしょうか?
やはり作品とは、自分の分身、自分の頭の中、自分の心である。
責任を持って制作した作品であればあるほど、自己の鏡として際立って来るのでしょう。
私の場合は、その鏡の中に自己中心さや、自己愛、世紀末論、悲観主義、悲劇趣味、耽美趣味がチラホラと見てとれます。

さて、そんな当時の「屍体考」のキャプションからの引用で閉めさせて頂きたいと思います。
(以下、個展時のキャプションからの抜粋になります)

 

 

人は死を恐怖し、意識する特権を持っているにも関わらず、己れが死すべき存在である事を忘れがちである。

何故,私は存在するのか?
存在に必然は在るのか?
……もう何年もの間、この問いを続けているのだろう……

存在に対する疑問がくすぶり続ける一方で、
海辺で出会う屍体達は私の目の前に、確かに存在した。
その確かなる屍体は、私と対面する美しき存在であった。

いつぞやまで彼らは、確かに生きていたのであろう。
いつぞやまで彼らの肉体は、躍動していたのであろう。
だが、今は動かない肉体として、私の足元に横たわっている。

波の飛沫を浴びながら
あるいは、風に流される微細なる砂に打ちつけられながら

陽を浴び
雨を浴び
しだいに、その肉体は細かく分解され、他の物質へと変容していくのである。

屍体を足元に眺めながら、
私は、腐肉から発生する微妙な臭いと、かすかな生暖かさに包み込まれる。

そう。その屍体を見つめる私も、確かにそこに存在した。

美しい屍体を見つめながら、
私と云う肉体もまた、屍体へと進行している事に思いを巡らすのである。

生きている事、ここに存在している事を軽く考えるべきではない。
生きていたからこそ、死が有る。屍体は生きていた事の証明である。

屍体は、生と死とのはざまに存在する貴重なモノ。
肉体として存在しながら、これから無へと向かう微妙なモノ。
その瞬間に出会えるのは貴重な出来事なのではないか?

屍体はイコン。
私にとって、死と生の象徴。
私にとって、死と生とを繋ぐもの。
だから撮影する。

そして、終わりなき『屍体の中の美しさ』を追求していきたいと思うのです。

 

増元 幸司 (ますもと こうじ・Kohji Masumoto ):
1968年8月 岐阜県飛騨高山生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、(株)扶桑社写真部勤務を経て1999年7月に独立。フリーランスフォトグラファーとなる。現在、主にファッション誌等の雑誌を中心に撮影活動中。
主な個展歴 に「屍体考」(1994年)、「屍体考2」(1997年)、「増元充・幸司 二人展(兄弟展)」(2015)などがあり、屍体考のシリーズは海外でも複数回個展が開催されている。

Web= http://k-masumoto.jimdo.com/

 

 

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