テクニックは手段。

今回も「記憶は嘘をつく」からの写真を。
この作品ではちょっと特殊なことをしています。水で像を流したり重ねたり。写真展ではどうやったんですか?と聞かれることもあります。手法としてはワタシが20年以上前に思いついた方法でしたが、なかなか使う機会がなく、今回のプロジェクトで初めて使用したテクニックです。最初にこのプロジェクトからの作品を公開したときには手法に名前を付けちゃおうかな?なんてSNS等に投稿していましたが、もちろんそんなつもりなんてまったくなく、単に表層のテクニックだけマネして「同じ作品を制作した」と言われたくないので自分のオリジナルなんだと暗に主張していただけだったんです。この世界はテクニックの話ばかりが先行しがちですからね。
今回はそんなテクニックのお話し。

ワタシはいろいろな写真教室やセミナー、大学などで写真の講義・講座を行ったりしています。そこではテクニカルなガイドをすることがほとんどです(大学ではもっと深い内容面の話をすることもあり、一般アマチュア向けの写真教室とはちょっと異なりますが)。
また、写真専門誌では機材の細かな違いをアレコレと記事を書いたりしています。

でも、大切なのはテクニックだけではありません。むしろ大切なのはその先です。そのテクニックを使ってどんな作品を制作するのかが大切です。テクニックが優れているから、また機材が優れているからといって優れた作品になるわけではありません。でもそこが逆になっている人の方が多く見受けられます。もちろんテクニックや機材は重要です。イメージや表現、思想だけが先行してテクニックや機材が劣って表現し切れていないのもまた違うと思います。要するに両方大切なんですね。

写真の会場に足を運び、作者を捕まえて「これ絞りいくつなんですか?」「これはISO感度は?」「○○のカメラで撮っているんですか?」などの質問をぶつける人がいますが、写真展の基本はそこではないとワタシは思っています。勉強中の方が気になるのはしかたのないことですし、メーカー系の企画展では機材のプロモーションを含んでいるのでどうしても話が機材に偏ることも理解はしています。
ただある程度ご自身で撮れるようになったら、なぜそのテクニックを使ったのか、そちらに意識を持っていって欲しいと感じています。

たとえば上に掲載した「記憶は嘘をつく」では水を使って像を流していますが、なぜ水を使って流しているのかはステートメントを見ていただければご理解いただけるかと思います。

アーティストステートメントについて
ワタシはかれこれ3年ほど前から、構想も含めれば10年以上前から一つの作品プロジェクトに取りかかっている。通常は写真展なり作品集なり一定の完成の体をなしてから表に出すものだが、SAMURAI FOTOの写真展だったりイベントなど必要に迫られて...

単にビジュアル的に綺麗に見えるから使用したテクニックではないのです。
ですから表層のテクニックだけをマネして同じになったと思って欲しくないんですね。テクニックと表現が結びついていることが理想なのです。もちろんマネをするのは皆さんの自由です。マネから学ぶこともありますし、ワタシもマネをたくさんして勉強しました。でもテクニックだけマネをしても似た画にはなるかもしれませんが表現をしたことにはならないのです。

先にも書いたようにテクニックも重要です。絞りやシャッター速度などをしっかりコントロールし、プリンティングテクニックも磨き、良いカメラ、レンズ、プリンター、用紙を使うことも重要。そこをベースに『自分の作品』を制作して欲しいと思っています。
ワタシらがやっているテクニック講座はそのためにあるのです。そのテクニック自体が目的ではありません。また、たくさんのテクニックを身につけておき、「引き出し」を多く持っておくことも大切です。いざこういう表現がしたいと思ったときに、どれを使えばイメージしたビジュアルを得ることができるか、それはどれだけ多くの引き出しを持っているかにかかっているともいえますから。

ですからワタシもまだまだテクニック講座などを行いますし、このサイトを含めて機材の記事も書くでしょう。でもそれは「手段」の話であって「目的」ではないということを読者の方にはぜひご理解いただきたいと思っています。

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